2021年2月7日日曜日

松平定信公の白河だるま.佐川だるま製造所Vol001

写真は、戦後すぐの頃の白河だるま市の風景です。
半世紀前の頃の写真でしょうか。
毎年建国記念日(今年は2月11日(木))には、達磨市が開催されますが、今年は中止と聞きます。
武漢ウィルスから世界中の歯車が狂いました。まだ、暫くは続くでしょう。
白河だるま市は、1783年に藩主となった「松平定信」が城下の繁栄を願い、お抱え絵師であった「谷文晁(たにぶんちょう)」に、縁起物のだるまの絵付けをさせたことから「白河だるま」が始まったといわれています。
白河市内の天神町・中町・本町に渡る1.5キロの目抜き通りの左右に、700店舗以上のだるま・飲食・花木の店が連なり、15万人もの人が行き交う、活気のあるお祭りです。
中止は、残念ですね。
白河だるまの特徴は、眉毛は鶴、ひげは亀、あごひげは松、びんひげは梅、顔の下には竹を描きます。その福々しい顔のだるまは「白河鶴亀松竹梅だるま」とも呼ばれています。
達磨と言えば、高崎達磨が有名ですが、ここの白河だるまは、風情のある美しい上品な達磨です。

白河市は、2軒のだるま製作所があり、年間15万個のだるまが生産されるだるまの街です。ひとつは、渡辺だるま店、もうひとつは、佐川だるま製造所(佐川平吉商店)です。二つの工房ともお取引がありますが、この度ご紹介するのは、佐川だるま製造所からお借りした記録の画像です。
昭和初期のだるまに関わる人々の姿です。
達磨は、型に和紙を貼り付けて凸様となります。
その為に石臼を使い和紙を繊維状にしています。
繊維状にしたものを漉いて分厚い和紙に
します。佐川だるま製造所では、今も
和紙と底の重しは、自家製です。
型に嵌めて凸様のだるまに胡粉をぬり
陰干しをします。
大小のだるまは、このように串で刺して
藁の棒に刺して干してゆきます。
次はこれに絵を付けてゆきます。
佐川平吉氏
達磨に絵付けをしています。
全ての絵付けが終わり、
串で刺して乾燥させています。
リヤカーに積み達磨の出荷です。

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