2018年4月16日月曜日

海を渡る桑ぐい呑み--最後の商品(廃業)

㈱とぴい企画は、平成10年4月8日の創業です。
伝統工芸品、民芸品、そして、伝統食品の通販を目的にwebcitye「下野・会津・津軽 手仕事専科」をつくりました。
justsystemsのホームページビルダーをつかい、4月22日にwebciteとして、アップいたしました。
「私にも写せますならぬ、作れます!」でした。
無謀!の一言です。

今では、年商も数千万円に届き、ひとり企業ですが、さらに高みを目指して楽しんでいます。
美しいものに触れ関われる悦びです。
昨日、ダンスの宿おおるりの支配人と話となりました。
私のwebcite「手仕事専科」の実績を聞いて、関心を持たれたようです。
「仕事は、順調にいっていますか?」
彼は、如才ない素晴らしいホテルマンです。
世界40か国を訪ねて、それぞれの国の文化や工芸品などに関心があり、ソビエトや中近東、中国を何度も訪ねたといいます。
大変な費用がかかったでしょうが、好きなことに学術交々の情報を得るための投資だといいました。
「webcite」は、コンテンツが、命です。
伝統工芸品は、背景にある歴史や文化、民族の拘りなどがあるといいます。
その魅力に興味があったといいます。
支配人と話をしていて、嘗てインドの友人が、「webciteは、物を売るんではないよ、文化を売るんだよ」と言ってくれたのを思い出しました。
私のwebcite「手仕事専科」は、その商品が生まれた歴史と文化を伝えることだと言えます。

桑のぐい呑み
桑の木の轆轤挽きは、関東では、
こちらだけです。
今朝は、悲しいことがありました。
ある懇意な工房から、取引をやめたいとの連絡が入り、了解しました。
私の御取引は、嘗て若かりし頃に知り合った職人さんたちです。
当時は、私も30代、彼らも40代でした。
元気なそして、それなりに確りとこだわりの素晴らしい商品を作っていました。
物の後ろには、庶民の生活があるからです。
「清く貧しく美しく生きた人々」です。
栃木県立郷土資料館館長(博物館学芸部長)の尾島利雄先生の感化もありました。
伝統工芸品、民芸品の意義を理解していました。
しかし、それから、40年近くが過ぎ、彼らも70代です。
私のwebcite「手仕事専科」でも人気の工房でしたが、数えると片手以上の工房が、御取引が出来なくなりました。
一番の理由は、後継者がいないことです。
息子さんは、家業を継ぎません。
他に勤めています。
(稼業で食べられなければ、当然です。)
息子から、「廃業」を勧められます。
昨日の工房は、日光市今市の桑の木工轆轤挽きです。
栃木県認定の伝統工藝師です。
ちょうど、海外へのお土産でご購入いただき、商品を受け取ったばかりでした。
素晴らしい商品がいくつも店頭に並んでいましたが、もう売れないのでしょう。
残念です。

私の知る限り、(日本の)職人さんは、作ることに長けていますが、職人です。
作家ではありません。
黙々と伝統的な商品を作り続けています。
変わり身の苦手な人々です。
小売店から、いくつかの商品の御提案や県機関から開発等の支援もいただいていますが、現代生活の要望や需要に応えられません。
近代的な洋風生活・新しい流れには、応えられません。

かたや、「ニトリ」というすばらしいショップがあります。
その価格とデザインが素晴らしく日本の伝統工藝の比ではありません。
その意匠は、計算し尽くされています。
日本の伝統工藝で培われたデザインです。
それを大量に安価に違う素材で海外でつくります。
伝統工芸の商品と比較すると
価格力と現代生活にマッチしたデザイン力が、際立っています。
しかし、その寿命や素材の違いから、長年伝統的に使い込まれる類の物ではありません。
お客様が経済力がない若い頃に耐えられれば、良いのです。

私の唱える「和美との生活」は、これらの社会の流れの中で、なす術を知りません。
下野をはじめ会津や津軽の伝統工芸には、素晴らしいものがたくさん残っています。
しかし、それらに残された道はないようです。
手仕事専科」は、ニッチのwebciteです。
私は、少しでもその商品の良さを伝え、現代生活にあう商品を提供して行くことが、仕事です。
人は、心があります。パンのみにて生きるのではありません。

和美との生活」を提唱して行きます。

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